長編小説を書く場合、一日に四百字詰原稿用紙にして、十枚見当で原稿を書いていくことをルールとしています。<中略>
もっと書きたくても十枚くらいでやめておくし、今日は今ひとつ乗らないなと思っても、なんとか頑張って十枚は書きます。なぜなら長い仕事をするときには、規則性が大切な意味を持ってくるからです。書けるときは勢いでたくさん書いちゃう、書けないときは休むというのでは、規則性は生まれません。職業としての小説家- 村上春樹
走る練習、長距離走、マラソン、という言葉で苦しいを想像する人は多いと思います。実際に今よりも体力をつけたい、記録を更新したいと目標にする場合、少なからず苦しいという練習は乗り越えていかなければいけません。
苦しさを我慢する、根性という言葉に置き換えて考えられることもあります。
苦しさ、辛いことに耐える我慢はもちろん大切ですが、同様に調子がいい時にどんどんペースを上げるのを抑える我慢、必要以上に長く走るのを抑える我慢も大切です。
前者の我慢がどうも先行しすぎて、後者の我慢はあまり考えられていないようにも思えますが、抑える我慢というのもまた難しいものです。ペースを抑える、距離を短くするなんて、より楽になることなんだから簡単じゃないか、と思えてしまうのですがこれまた難しい。
特にマラソンなどの長いレースでは走り出してリズムが良くなり、余裕が出てくる、心地よさを前半から中盤にかけて感じ始めることが珍しくありません。「おっ、なんか調子がいいぞ。これはもっといけるな」なんて思った矢先にペースアップをしてしまうものです。この勢いのある時に思いっきりペースを上げてみることも勝負の中では必要な時もあります。ただそれは中盤過ぎから終盤にかけて、我慢したものを放出するタイミングが大事です。
「行けると思ったら大失速してしまった」という経験は多くの人があると思います。
学生時代を振り返ると、調子が悪い、気持ちが乗らない時は苦しくなると我慢して耐えるをすぐやめる、調子がいい時は予定のペースを無視してどんどん上げる。高ぶる気持ちを抑える我慢が全然できていませんでした。
両方の我慢のしどころを分かってこそ、ペースをコントロールできていると言えます。
ペースのコントロールというのは一回の練習やレースだけのことではなく、長くランニングを続けていく上でも重要なスキルです。
実業団の選手を見ていても、やっぱり重要なレースでしっかり力を発揮できる選手、長いキャリアで活躍できる選手というのは、全体を通してペースのコントロール、耐える時、抑える時の我慢の仕方がちゃんと分かっている選手なんだと思います。
競技的な観点だけでなく、ランニングを習慣化する上でも、気分に任せて走る、走らないを繰り返していては習慣化とは呼び難いものになってしまいます。
やる気がなくてもシューズを履いて外に出る、やる気があっても必要以上に頑張りすぎない、仕事が忙しくても週一回のランニングは行う、など何事も長く続ける上では先の引用文にもある、規則性というのが大事です。
規則性を生むために、我慢のしどころを理解する、ことが少なからず関連しているように感じます。
これまでランニングの指導をやってきて、「すごく楽しかったです。やる気が出ました。次が楽しみです」と言って、一番楽しそうに初回の練習を終えた人が、その後連絡がなかったなんてことは何度かあります。
逆に今数年間続いている人たちの初回を振り返ると、すごく張り切っているわけでもなく、意欲がないというわけでもないが、楽しそうにも見えない、なんか微妙な反応だったことの方が多いようにも思えます。
継続さえすればいいというものではないのですが、継続という土台、長く続けないことには得られない効果というのは何事にもあります。
苦しさに耐える我慢はできるけど、抑える我慢はできない、というのは言い換えれば勢いに任せて頑張っているだけ、とも言えるかもしれません。
苦しさよく耐えた我慢はどんな時か、高ぶる気持ちを抑える我慢も同時にできているのか、少し振り返ってみてはどうでしょうか。
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