ランニングの練習を続ける上で一番厄介なことは身体の怪我です。全く怪我なく練習を続けれる人の方が少ないくらいではないでしょうか。
私も学生時代から今にかけて数多くの怪我をしてきましたし、怪我に悩む選手も目の当たりにしました。練習を続けた期間が長く状態がいい時ほど、できるだけ中断は避けたいところですが、いずれ休むという選択を受け入れないといけない局面がやってきます。その時の心境は苦労して積み上げてきたブロックや制作物が目の前で崩れ去っていくのを目の当たりにしているようです。
ランニングの習慣がつき始めた頃に怪我をして、すっかり辞めてしまった人もいるかもしれません。
熱心な人は怪我の期間も代わりの持久系トレーニング(バイク、水泳)を行う人もいると思います。もちろん高い競技レベルを目指す人は走れなくても、代わりに何をするのかは大切です。
ただ私自身のこれまでの練習経験、または指導を通して感じたことは怪我をして走れなくなった時に一番大切なことは習慣のリズムを崩さないことにあると思います。
例えば走るのは痛くても歩くのは大丈夫なら、いつもランニングを行う時間にウォーキングを行う。歩くのも痛いなら自転車に乗る、またはストレッチや筋トレを行うのもいいでしょう。
気持ちが落ちてやりたくない、ウォーキングや通常の自転車を漕いで代わりのトレーニングなるのか、この程度の運動ならやらなくても変わらないじゃないかと思うことはあるでしょう。
私も同じ経験が多くあり、代わりの効果、どんなことをやればランニングに似た効果があるのかばかり考え、その効果に値しないものは避けていました。
ここで大事になるのは代わりやる運動がどんな効果があるのかではなく(もちろん心肺に負荷がかかる方が体力面ではいいでしょうが)、習慣そのものをやめないことです。
なので難しく考えて何もやらない選択をするくらいなら、どんな運動がいいのかは一旦置いておいて、今の状態で持続できることを代わりにやることです。
ランニングの習慣がついてきた人なら体力面以上に同じ頻度で外に出る習慣の形成を崩すのを避ける方がいいでしょう。
また学生の指導を通して感じたことは、故障をした期間はこれまでつけていた練習の記録もやめる、メニューを組むことを考えることをやめる、全部走れるようになったらまたやればいいやという考えになりがちだということです。
現在走れていようが走れていまいが、調子が悪くても良くても、時間をかけて何かを上達させる、目標に向けて準備をするということは今の状態を基準に何ができるかを考えて、日々調整していくことだと思います。
上記は少し競技よりの考えかもしれませんが、誰にでもランニングの練習習慣により派生した別の習慣が存在すると思います。クラブの練習でやっているなら練習日に仲間と会うことも習慣の一つでしょう。走れなくても顔をだす習慣、練習会と同じ時間にウォーキングを行うなどはできると思います。そこで歩くこと、歩く時間に練習効果としての特別な意味があるかどうかで考える必要はないと思います。
実業団の合宿に帯同すると基本的に、早朝、午前、午後の1日3度の集合があります。
怪我をして走れない選手、回復のためにその時間は走らない選手も集合には出て、みんなで体操を行います。
少し前、体操に意味があるのか、走らないのに毎回集合に出る必要性、合宿に来る必要性はあるのか、など考えたこともありますが、これも一つの行為の意味を点で考えていただけで、そこから派生するいろんなこと、走っている時と同じ習慣を崩さない、チームメイトと顔を合わせる、などがあることが分かります。
点ではなく、線で考えるとはいろんなところでできることだと思いました。
怪我をして走れなくなった時に、代わりの練習を考えることは大切です。ただ代わりに何をするか以上にランニングの習慣により派生している他の習慣にまでストップをかけないように、自身の作り上げた生活のリズムそのものを崩さないように考えてみるといいのではないでしょう。
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