10年近く前になるが、友人の結婚式に高校時代の陸上部の仲間が久々に集まった。
2次会では昔話に話が咲き、大いに盛り上がる。
「今度もみんなで集まってなんかしようぜ」
「やろう、やろう」
こんな感じでLineグループを作成する。
あれ以降、そのグループチャットに誰も投稿することなく時が過ぎた。
誰も嘘をついたわけではない。その時は誰もが本当にそうしようと思ったのだ。ただ気持ちは冷めるということを、熱している時には気づきにくい。
ランニングを指導しているので、ランニングが続かない相談を受けることはよくある。
その中でよく聞くフレーズの一つに「モチベーションを保てない」がある。
なんらかのきっかけで気持ちが熱して、走ることを決意する。その時は明日も、来週も、同じような気持ちでいられるような気がする。そんなことはない。あの熱は何だったのだ、と思うくらいに気持ちは冷める。
さて自分のケースで考えると、もう30年近く走ることを続けてきた。ただ毎日走ることに対する熱意を持って走るかというとそんなことはない。
「身体が重てえ、今日は距離減らそうかな、やっぱ午後にしようか、」
そんな感じの日がほとんどで、「よし、今日はやるぞ」なんて意気込んで走る日は滅多にない。たまにあるとしたら、それは知人や教えている人たち、応援している選手が大会で快走した時などだ。
ただ他人が毎日大会に出て、快走してくれるなんてことはない。
しかし走り最中や終わりには「おっ、思ったより走れるな」などと身体同様に気持ちも熱してくる。
走りの熱意は走ることで熱されるのだ。
日記を含め、Noteやこちらのブログ、たまに知人向けだけに作成する記事、書くことも10年以上続けている。
こちらも同様、書くことに対する気持ちが常に熱しているわけではない。ただ本を読むと、全ての本ではないが、エッセイ系の本やブログを読むと、ふと考えがまとまってきて書いてみようと気になる。
書くと走るが似ているのは、書き始めは走り始め同様にぎこちない。ただ走り出しているうちにリズムできるように、書き続けているうちにリズムが出来上がる。
何かを続ける上で大事なのは、気持ちが常に熱していることではなく、熱するきっかけを知ってること。そして実行できること。熱するきっかけのハードルが高いほど、続けるのは困難になる。
冷めるのは前提だが、熱するのが難しくなるほど冷めすぎるのは良くない。程よく冷めたら、また熱する。この繰り返しができるかどうか。
上のグループラインの件に戻るが、みんなで集まったからまた集まることへ気持ちが熱したのだ。偶然にも結婚式という場がそれを用意してくれた。ただ結婚式なんてそんなにしょっちゅうあるものではない。
集まる熱は集まることで生まれたのだとすると、当然、集まらないことにはその熱は生まれない。
最初のきっかけが偶然で、それが稀な出来事だと、また熱するのは困難になる。
ただ気持ちが熱している時には、また当然のごとく起きるような気がする。
熱し続けること(モチベーションを保つ)よりも、熱するきっかけを知ること。きっかけを実行すること。

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