5000mを走って。しんどい、苦しい、覚悟

友人とランニング中の会話。「年齢のせいか、次第にペースを上げた時の苦しさに対する気持ちの耐性が低下する」ということで考えが一致する。

もちろんペースを上げて走る方が心拍数は上がり、呼吸の苦しさも強烈になる。
マラソンなどの距離だとペースは比較的にゆっくりとなるので、呼吸が苦しくてペースを保てないというよりは全身の疲労感により身体を動かせない感じだ。
マラソン中に「苦しい」と感じることはあまりなく、「しんどい」と感じることの方がほとんどだ。

きつさの種類というのか、ただの言葉遊びのようだけど、長い距離を走るとなると「まだ終わらない」という気持ち的なしんどさをよく感じる。
肉体的には耐えれるのは分かっているのに、すごく呼吸が苦しいわけでもないのに「あぁ、まだ〇〇kmもある。しんどい」と思うことは珍しくない。

学生時代はグランドをよく走らされたので「あと〇〇周」などのように思うことはしょっちゅうだった。
苦しいペースは間違いなくきつい。その分練習が終わるのも早いので、学生時代は呼吸が苦しいよりも気の遠いしんどさの方が耐え難かったように思う。

どちらも好んでやりたいものでもない。ただ年齢や経験と共に気持ち的しんどさの対処が上手になってきたのか、今はペースを上げた苦しい練習を避け、長く走る方が気が楽になってきた。

そんなこともあり、たまには苦しさに耐えようと久しぶりにトラックレースの5000m(MKディスタンス)に参加してみた。

多分16分は切れる。というのも以前に16分を切って走った時よりも練習はやっているから。ただ苦しいペースで走る練習をしていないからか、その苦しさに耐える覚悟ができていない。その点が不安。
ペースメーカーが4人。選択肢としては15分40秒か16分00秒のどちらにつくか。

おそらく学生時代の自分なら15分40秒にチャレンジしただろう。しかし今回は「無理ではないけど、苦しいだろうな」と覚悟ができておらず、16分の方についていくことに。

しんどさに耐える覚悟、苦しさに耐える覚悟。このような覚悟を練習を通して築くことが大事で、たとえ同じような走力があったとしても覚悟の差で大きく結果は変わる。
ここ最近の練習で体力をついてきたのは実感するものの、その手の練習を避けていたので苦しさに耐える覚悟はできていない、というのが現状。

スタートして集団後方につけ1000m。まだ苦しくない。2000m。まだ大丈夫。鬼門の3000m。おっ、この時点でこの余裕感なら16分は問題ない。
4000mややきつさは感じるがものすごく苦しいわけではない。
「じゃあペース上げろよ。いや、もうちょっと待て。ここで上げたら結構苦しくなる」
心の葛藤が続く中、残り600mで折り合いをつけてペースアップ。案の定、一気に苦しさが増して気持ちが引いてしまいそう。
まだ振り絞れそうなのに、振り絞れない、もどかしい感じでゴール。
記録は15分46秒。

15分40秒のペースメーカーについてたらどうだったのか。切れる体力はあったかもしれない。ただ覚悟はできてなかったので難しいだろう。全て含めての実力と考えれば、これが実力ということだ。

マラソンなら終盤のしんどさに耐える覚悟を作る必要があるように、5kmの距離では中盤以降の苦しさに耐える覚悟を作る必要があるなと改めて感じる。
走力を向上させる目的のトレーニングを行うのも大事だけど、時には何に対して自分は覚悟ができていないのかを考えて練習を組んでみるのも大切だ。

身体が違うように、気持ちの持ちようも人それぞれ異なる。だから練習の工夫には際限がないのだろう。

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